ジョージ・マロリーは、山に登る理由は、そこに山があるから!と答えた。
でも、ただの叔母さんの私が登る理由では当然ない。
山に登らない人に、何が楽しいの?と聞かれる。
なんで、登るのか?登りたいのか?
今回、北アルプス表銀座といわれる燕山~常念岳を縦走してきた。
今の雑感を記してみる。
登り始め、身体が登りに慣れない。1時間だけ休まないで登ろうと思う。
息が切れる。やっと1時間。
もちろん、途中、綺麗な花があったり、紅葉があったりするわけだけど!
休んでも、まだまだ先がある!と思い、登る。
日帰りの場合は、早く帰ることも考え、登る。
何が楽しいのか!?
1時間1時間と繰り返すうちに、森林限界が訪れ、景色がひらけてくる。
途中、鎖やハシゴ!どうしよう?というところをクリアして行く。
今まで来た道が見える時もある。
そうして、頂上にたどり着く。登った者にしか見えない景色が現れる。
遥か彼方に、登りし道が見え、こんなに登ったのかと感激する。
これが、達成感?と、言葉に著すと?そうなのか!?
それが、登山の醍醐味!?
それは、それで、登る大きな理由。登山の楽しさ!
でも、それだけではないと思う。
私は前向きに、課題?のようなものを達成することが楽しいと思える強くて自分に厳しい人間ではない。
単独で登っている人が多い。
短い休みを使って、北海道から来ている人。
大阪から、深夜、車を飛ばしてきた男性。伊香保から、電車で、深夜に入りした人。
足が悪いし、一人だからと、あきらめて下りてくる人。
私とて、夫婦で登っていても、途中、会話はほとんどしない。
黙々と登るのみ。
なぜ、時間をやり繰りして、皆、遠くから、お金を使って、山に登るか?
私は、そこには、日常生活のしがらみからの開放があると思う。
そして、森林、自然からのパワー、森林浴によるデトックス効果もある。
そして、目の前の自然に、自分の身体のみを信じ、使用して登る。
マラソンと比べて、自然、天候に左右される部分は大きい。
〜勇気を持って撤退。山は逃げない〜などという言葉を山の先輩たちから教わった〜
また、何が何でも、自分の足で下山というゴールをしなくてはいけない。
そのような大変さは、しがらみを考える暇を隙を与えない。
また、自然の力が、風が空気が景色が匂いが癒してくれる。
山に癒やしを求める。山に癒される。
小屋では、お酒を飲みながら、社会的地位はもとより、名前すら知らない者同士
山の、今日の天候の大変さ、素晴らしさ、で盛り上がる。
一期一会の中のその場限りの楽しさ。
旧友は、離婚のがたがたした時、山に没頭していった。
酒でもなく、異性でもなく、薬でもなく、山。
それは、とても、ある意味、健全であると思う。
登り始めて、理解できる。
今回、二度目の小屋泊になるのだが、沢山の素敵な人に出会った。
私に元気を与え、前向きにしてくれる人たち。
それも、山の楽しさだと思う。
危険な箇所は、ハーネスで、妻と繋がり、登るという、頑強そうな男性(少し年上?)。
座ったまま、寝てしまったいる姿がなんとも男らしくて、素敵!
その男性に、ついて行く妻!
単独行なのに、パソコンでプリントアウトした
行程表を持ち、コースタイムに勝ったと嬉しそうに話す還暦過ぎの男性。
毎日、布団の上げ下ろしの際は、布団を持ち、スクワットを10回するそう。
障碍を持つ成人近いこどもと登る同世代の女性。
私は、夫に頼っているが、彼女は、彼女が息子をリードしている。
皆、それぞれの人生を抱えながら、
今日この日、同じ天候で、同じ山を登り、自然に抱かれ、時に、自然に翻弄され、同じ宿に泊まっている。
みんな、みんな、素敵な人たち!
そのような出会いが、単なる旅行では、わからない!
それも、登山の楽しさだと思う。
山は冬!私には、シーズンオフ!
沢木耕太郎の凍を読んでみる。
来年、また、どの山を登ろうか、山の本を開く。
でも、ただの叔母さんの私が登る理由では当然ない。
山に登らない人に、何が楽しいの?と聞かれる。
なんで、登るのか?登りたいのか?
今回、北アルプス表銀座といわれる燕山~常念岳を縦走してきた。
今の雑感を記してみる。
登り始め、身体が登りに慣れない。1時間だけ休まないで登ろうと思う。
息が切れる。やっと1時間。
もちろん、途中、綺麗な花があったり、紅葉があったりするわけだけど!
休んでも、まだまだ先がある!と思い、登る。
日帰りの場合は、早く帰ることも考え、登る。
何が楽しいのか!?
1時間1時間と繰り返すうちに、森林限界が訪れ、景色がひらけてくる。
途中、鎖やハシゴ!どうしよう?というところをクリアして行く。
今まで来た道が見える時もある。
そうして、頂上にたどり着く。登った者にしか見えない景色が現れる。
遥か彼方に、登りし道が見え、こんなに登ったのかと感激する。
これが、達成感?と、言葉に著すと?そうなのか!?
それが、登山の醍醐味!?
それは、それで、登る大きな理由。登山の楽しさ!
でも、それだけではないと思う。
私は前向きに、課題?のようなものを達成することが楽しいと思える強くて自分に厳しい人間ではない。
単独で登っている人が多い。
短い休みを使って、北海道から来ている人。
大阪から、深夜、車を飛ばしてきた男性。伊香保から、電車で、深夜に入りした人。
足が悪いし、一人だからと、あきらめて下りてくる人。
私とて、夫婦で登っていても、途中、会話はほとんどしない。
黙々と登るのみ。
なぜ、時間をやり繰りして、皆、遠くから、お金を使って、山に登るか?
私は、そこには、日常生活のしがらみからの開放があると思う。
そして、森林、自然からのパワー、森林浴によるデトックス効果もある。
そして、目の前の自然に、自分の身体のみを信じ、使用して登る。
マラソンと比べて、自然、天候に左右される部分は大きい。
〜勇気を持って撤退。山は逃げない〜などという言葉を山の先輩たちから教わった〜
また、何が何でも、自分の足で下山というゴールをしなくてはいけない。
そのような大変さは、しがらみを考える暇を隙を与えない。
また、自然の力が、風が空気が景色が匂いが癒してくれる。
山に癒やしを求める。山に癒される。
小屋では、お酒を飲みながら、社会的地位はもとより、名前すら知らない者同士
山の、今日の天候の大変さ、素晴らしさ、で盛り上がる。
一期一会の中のその場限りの楽しさ。
旧友は、離婚のがたがたした時、山に没頭していった。
酒でもなく、異性でもなく、薬でもなく、山。
それは、とても、ある意味、健全であると思う。
登り始めて、理解できる。
今回、二度目の小屋泊になるのだが、沢山の素敵な人に出会った。
私に元気を与え、前向きにしてくれる人たち。
それも、山の楽しさだと思う。
危険な箇所は、ハーネスで、妻と繋がり、登るという、頑強そうな男性(少し年上?)。
座ったまま、寝てしまったいる姿がなんとも男らしくて、素敵!
その男性に、ついて行く妻!
単独行なのに、パソコンでプリントアウトした
行程表を持ち、コースタイムに勝ったと嬉しそうに話す還暦過ぎの男性。
毎日、布団の上げ下ろしの際は、布団を持ち、スクワットを10回するそう。
障碍を持つ成人近いこどもと登る同世代の女性。
私は、夫に頼っているが、彼女は、彼女が息子をリードしている。
皆、それぞれの人生を抱えながら、
今日この日、同じ天候で、同じ山を登り、自然に抱かれ、時に、自然に翻弄され、同じ宿に泊まっている。
みんな、みんな、素敵な人たち!
そのような出会いが、単なる旅行では、わからない!
それも、登山の楽しさだと思う。
山は冬!私には、シーズンオフ!
沢木耕太郎の凍を読んでみる。
来年、また、どの山を登ろうか、山の本を開く。
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by bokuboku-513
| 2013-10-20 14:00
| 登山